解剖実習で最初にメスを入れるときに、「皮膚」に接します。参加者の興味は「筋肉」や「神経」や「内臓」などなので「皮膚」はどんどん切り出し除去されていきます。
「感覚」というものに興味がある私にとっては、一律の状態である献体さんの「表皮」(一番表の皮膚)をチェックするというより、「表皮」の皮下にある「真皮」に注目します。ここに受容器がたくさん存在します。参考本では大きめに描かれていますが、実際には本当に小さいスペースであるし肉眼では見えないのです。
身体のいろいろな感覚を「体性感覚(たいせいかんかく)」といいます。「体性感覚」には「皮膚感覚」と「深部感覚」にわけられます。「深部感覚」は、体の位置、体の動き、体の深い部分の痛みなどの感覚を指します。今回は、「深部感覚」の方ではなくて「皮膚感覚」をテーマにしたいと思います。
(私の追求している)「皮膚感覚」とは皮膚の感覚、例えば「痛覚」、「圧覚」、「触覚」、「冷覚」、「温覚」などを指します。仕事では、このいろいろな感覚を操り(かっこええなぁ)、効果的に利用しています(利用しているつもりです)。
「鍼」の世界ではこの「体性感覚」がまた大事となります。「鍼」の施術では「痛くないように施術する技術」が前提です。実は、私事ですが、「痛い」のが苦手です(笑)。しかも金属アレルギーももっているので、鍼痕が少し腫れます(爆笑)。毎回わかっているけど体験します(苦笑)。
本題にもどります。鍼の世界の感覚として「痛み」には幅(範囲)があります。もちろん「痛み」としてではなく「心地よい刺激としての痛み」も存在しますしほとんど感じない状態での施術が中心となっています。「痛み」自体に限度がありますね。例えば「鍼」の治療法ではその筋肉の感覚を復活させたいと考えればあえて刺激量を増やして感覚を戻し発現させる目的で強めの刺激が必要な状況もあります。
今日のお客様との会話です。「他の人は飛び上がる程痛い部分が、私には気持ちいい」とその女性は言います。これはよくある話です。襲われたときには、ここをグーパンチして撃退するといい急所なのだと説明すると爆笑されました。私はこんな時、その部分の硬いのをなげくことなく「がんばっている証拠」としてとらえ褒めのネタにします。「どんなになっても改善してあげますよ」という自分への気合いも実はこもっているのです。
人間には、「感覚」から波及することがあります。先ほどの「痛み」は「恐怖」を呼ぶことがあります。治療は必要なこととはいえ、怖いものは怖いのです。「怖さ」がでると治療効果自体も必ず半減します。筋肉が緩んでも「怖さ」が残り、治った事実があっても印象も悪くなります(これは脳の機能のひとつです)。実際は、押し付けなければ、話し合い相手にあわせた「刺激量」を選択するので大丈夫です。
治療家たちは「痛み」が「怖さ」を呼ぶのなら「優しさ」や「柔らかさ」「温かさ」などでフォローします。「腫れ」「熱」があれば「冷やし」を施します。マッサージでは「圧覚」や「触覚」を追求し、「強弱を加減しながら手がふれている「温かさ」「心地よさ」「安心感」を表せます。料理人が「塩加減」をみるように私達も感覚に対して「さじ加減」をしているのです。「不安」や「痛み」「調子悪さ」に対して「思いやり」があってこそ、この仕事が成り立つのです。
相手の感覚を計る前に自分の感覚をまず磨きます。人間の「感覚」を知ることが施術全般の基礎になるとしんじています。私がこの「感覚」というものをスタッフに教える時に必ず勉強してもらう知識があります。自分の「感覚」を磨くということは「気づく」ことなのです。「気づく」には「興味・関心」を持ち、あえて気づかないといけません。ただマニュアル化された流れ作業としての施術しかできない施術家を志望していませんよね。だから根気よく「皮膚感覚」に訴え「脳」に記憶してもらいます。
記事担当:講師 富士子
参考写真:https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Gray936.png